あなたはいくつモアイの謎を知っていますか?【イースター島】

20200602150111

モアイ像に会いたいがためにわたしはイースター島に8泊9日で訪れました。

イースター島を観光していると、なんでこんなに島中にモアイ像が?どうやってここまでモアイ像を運んだの?なんでモアイ像はみんな島の内側を向いているの?と自然と疑問が生まれます。

緑の芝で囲まれた自然溢れる島内、そこに無数の綺麗に残されたモアイ像、周りには青々と透き通った海、まさに絶海の孤島。そこは何百年も前から時間が止まっているような不思議な空間でした。

歴史は難しくて嫌煙しがちなわたしでも面白かったのでぜひ読んでみてください!( ´ ▽ ` )ノ

イースター島について知っておくべき基礎知識

チリ領であり海底火山の噴火によってできたと考えられる火山島。面積は北海道の利尻島とほぼ同じであり、車であれば1時間で島内を一周できるほどの小さな島です。もっとも近い有人島まで直線距離2000kmと、周囲に島がない絶海の孤島となっています。

イースター島の現地語での名はラパ・ヌイ先住民の言葉で「広い大地」を意味しています以前は、テ・ピト・オ・ヘヌア「世界のへそ」、マタ・キ・テ・ランギ「天を見る眼」などと呼ばれていたそうですよ。世界のへそってユニークで素敵ですよね(*´`*)

島全体がラパ・ヌイ国立公園として登録されており、世界遺産ともなっています

人口は約4,000人で、島西部に位置するハンガ・ロア村が唯一の村です。主要ホテルやレストランなどがここに位置していますが、小さな島になるので都会のような雰囲気は一切なく、静かでゆったりとした空気が流れる村でした。

年間平均気温は約21℃、平均最高気温が約22℃で、平均最低気温が約18℃と一年を通して温暖で、それほど気温差はなく過ごしやすい気候です。シーズンは11〜4月、雨季が5〜10月にあたります。

 

イースター島の歴史とモアイの始まりから終わり

20200420225801

モアイの始まり

7〜8世紀頃にアフ(祭壇:モアイの下に作られている祭壇)作りが始まり、遅くとも10世紀頃にはモアイが作られるようになったとされます。島が完全に孤立していたことから、加工のしやすい凝灰岩が大量に存在し、そこからモアイ製作がされるようになりました。

モアイは、「モ」は未来、「アイ」は生存(生きる)という意味で、“未来に生きる”とされています。未来に生きるってよくわからないけど、素敵。

 

第一の謎

島内には、約1000体ものモアイ像があり、各集落を見守るように立っていたと考えられています。

『なぜモアイが建てられるようになったのか?』という謎がありますが、部族長や先祖の霊を祀っていたというのが有力な説です。代を重ねるごとに有力者が分家し部族の数が増えて、島の至る所にアフもモアイも作られていきました。

 

モアイ製作とその変化

モアイのデザインは時代につれ変化していきました。

① 始めは人の姿に近いもので下半身があるもの →

② 下半身がなく細長い手をお腹の辺りで組んでいるもの →

③ 頭上にプカオ(ラパヌイ語で髭あるいは髪飾り)と呼ばれる飾りものが乗せてあるもの →

④ 全体的に長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口などを備えるようになった

 島内には現在も様々な形態をしたモアイが立ち並んでおり、それぞれに特徴があるので見ていてとても面白いです^ ^

  

第二の謎

島には巨大な像を作って動かす技術や知識がなく、モアイは南米からやって来た人々の力で建てられたという説がありました。しかし、島民の遺骨のDNAには、島外起源の遺伝情報は見つかっておらず、モアイは島民が自力で建設し、移動させたことがわかりました。 

ここでもうひとつの謎として上がってくるが、『どうやって大きな石像を運んだのか』ということ。

丸太にモアイを横に乗せて運んだという説や、モアイが自分で歩いたという現地の伝説もあります。現代科学でも及ばない高度な技術が用いられたという説もあるみたいです。

モアイの平均的な大きさは高さ3.5m、重さ20t。大きいものでは高さ20m、重さ90tにもなると言われています。

これほど大きなものをどのように運んだのか、実物を見て考えても謎が深まるばかりでした。

 

モアイの破壊と文明の崩壊

モアイ作りは突然終息を迎えました。現在でもモアイ製作所には作成途中のモアイが立ち並び、工具が残されています。イースター島に一体何があったのか。
 

第三の謎

『突如としてモアイ作りが終息を迎えたのはなぜか?』

モアイを作り、運び、建てるためには大量の木材が必要となり、伐採により森林が失われたことで自然破壊が進み文明が崩壊されたという説があります。

また、「モアイ倒し戦争」も有名かと思います。わずか数十年の間に人口が4〜5倍に増加し、それと共に森林破壊が進んだ結果、土地が痩せ衰えて深刻な食料不足に陥り、部族間に武力闘争が生じたのがモアイ倒し戦争です。モアイは目に霊力が宿ると考えられていたため、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊したと言います。

他にも説があり、森を破壊した主因はネズミによる食害だとも言われています。天敵が居ない環境にネズミが持ち込まれると、その急激な繁殖に伴って森林が破壊されます。イースター島で発掘された植物の種子の多くにネズミにかじられた跡が見られたとされています。

部族の争いがあったにしては、殺傷能力のある武器が島内からほとんど発掘されていないということ。西洋人による侵略時にも、現地人は投石で戦ったとされています。部族間抗争については、研究が進むにつれて否定されつつあり、イースター島民の人口が減ったのは、ヨーロッパ人による奴隷狩りが原因という説が高まっています

 

イースター島の発見から文化の断絶

1722年に復活祭(イースター)の夜、オランダの海軍がイースター島を発見しました。その日にちなみイースター島という名前が付けられたそうです。その後、イースター島に奴隷狩りが起こり、外部から疫病が広まったため、島独自の文化が断絶しました。
そして1888年にチリ領となったようです。

 

まとめ

いかがでしたか?イースター島の文化は謎に溢れているからこそ、現代まで魅力を保っているようにも感じました。独自の文化が衰退したとしても、そこには作成途中で残されたモアイや手付かずの自然が残されており、今も尚文明を感じることのできる場所です。

鉄道やバスはなく、孤島らしい独自の空間がなんとも心地よく、その魅力に取り憑かれてしまいました。

最後まで読んでいただきありがとうございました( ˘ω˘ )

  

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です